海の見える風景

 こんにちは、東望大久保医院の大久保 仁です。

 私は長崎で生まれましたので、海の見える風景が落ち着きます。以前、何かの番組で「潮の香り」は、”プランクトンの死骸の匂い”と聞き、なるほど、と思いましたが、それでも長崎に帰ってきて潮の香りを嗅ぐとなんとなく落ち着きます。

 私は、今の研修医制度より前に医局に入局したので2年間を大学や麻酔科で研修医を過ごしました。その後、医局の関連病院で勤務医として外科医をやってきました。医局の関連病院の数は先日、数えたら10の病院を廻ってきたことになってました。

 我々の医局では、研修医2年後、2年程度一般病院で勤務した後に大学に帰り、研究をすることになっていました。移植・消化器外科の医局には肝臓グループ、胆膵グループ、消化管グループ(消化管運動機能の研究)、がんの転移などを研究するグループなどがありました。教授からテーマをもらい、それぞれのグループに属し、大学院に入学して研究をする人、一般病院でアルバイトしながら研究する人などに分かれます。

 私は肝臓に興味があり、長崎大学移植・消化器外科に入りましたが、あまり研究とか留学とかに興味はなく、一般臨床をしたいクチでした。教授からいただいたテーマが、大動物の肝移植モデル(豚を用いる)での実験でしたので、「移植の手技が学べるかな(心臓血管外科医と同じで、将来、肝移植が実臨床に導入されたとして、実際の術者になれるのはほんの一握りの人だろうなとは思っていました。)。」と思い、日々、豚のお世話に勤しんでいました(実際に手術手技は学べましたが、主の執刀医は先輩方がもっぱらで、豚の仕入れ、麻酔、術後管理、と非常にたくさんの雑用が大方でした。)。大変でしたけれど、豚といえど、きちんと麻酔を管理し、実際に肝移植を行い、術後管理をするのは並大抵のことではなく、その後の外科医としての糧になりました。

 2年間の実験生活が過ぎ、その間、ワシントンで開催された移植学会などにも発表できる機会も得ました。肝移植後に生じる虚血再灌流障害に対する対策が私のテーマ(通常、それで博士論文を書く)でしたが、論文はほぼ完成していましたが、その後の論文をきちんと雑誌に送り、掲載してもらう作業に関してうまくいかず、今でも非常に残念に思います。

 先日、ここ6年間で、私が実際に行った手術件数(術者、助手含めて)を調べる機会があり、見てみると1300例あまりでした。最近は指導などでの助手も増えていましたが、以前は実際の執刀ももっと多かったでしょうから25年でおそらく4000例くらいは手術をしているのではなかろうかと思います(もっと多いかも)。

 留学もしてないし、博士号もとっていませんが、臨床にこだわり、消化器外科、乳腺外科、内分泌外科と3つの外科分野の専門医を取得し、診断は内科の先生に負けないよう消化器に関して消化器病専門医・指導医、消化器内視鏡専門医などを取得しました。別に専門医を取ることが、いいとは考えていませんが、医師として「常に勉強しよう」という雰囲気を私は「第2外科」の医局で感じていました。コツコツ地道にやってきたことが私の取り柄だと思い、今後も続けていこうと思っております。