傷はきれいなほうがいい

 あんなに汗を流して医院の2階を掃除していたのが嘘のように、九月になって涼しくなってまいりました。今後の医院の継承につき、八月後半、悪戦苦闘しておりましたが、やっと目処が立ってまいりました。

 というわけで、しばらくブログ記載サボっていました、こんにちは、東望大久保医院の大久保 仁です。

 本日、以前、国立病院機構佐賀病院で手術をさせていただいた患者さんが、嬉野からわざわざ受診されました。患者さんにお聞きしますと、「嬉野から佐賀に行く時間も、嬉野から当院に今回いらっしゃった時間はそうは変わらなかったですよ」、とのことでしたが。お元気なお顔見れて、嬉しく思いました。

 創は術後半年くらいはやや肥厚した赤みがかっていたので、形成外科の先生とも相談していたくらいだったんですが、4年経過して、少し白いですが平坦にきれいになっていました。良かったです。

 実家に帰ってきて、他にもこれまで手術を担当させていただいた患者さんがお元気だったりした時が一番、外科医冥利につきると思っていました。

 手術創に関しても、手術の時、患者さんの数年先を考え、最後の縫合までお一人お一人、意外とこだわってやっている方だと思っていたので、それは間違っていないと再確信しました。手術の際、どうしても手術の終わりに近づくと、周りでは片付けモードになって行くことも少なくないんですが、私は、「まだ手術は終わりじゃないんだよ」と少し頑固おやじ的にこれまでやってきました。それは結果、いいことなんだと再確認できました。

 創に関して、糸のかけ方、締める力具合、部位や厚さ、持っている疾患別、患者さんそれぞれで違います。手術直後は良くても、時間が経って創は醜くなることもあります。もちろん、気をつけていても肥厚性瘢痕になることもあります。しかし、外科医たるもの、数年先の創にこだわる必要はあると思います。誰でも受けたくて受ける手術はありません。残念ながら、昔あった特番の中国の偽医者のように、手をお腹などに入れて悪いところをとって、傷はない、なんてのはできるわけもなく、我々はあくまでも創を作ることで悪いところを切除せざるをえません。

 外科医を今後オープンシステムを利用して続けていったとしても、手術ができなくなったとしても、そういうこだわりは手術手技だけでなく、医療のいたるところにあります。その「こだわり」を今後も愚直にこだわっていきたいと思う今日この頃です。